前田寛治(まえだかんじ)

前田寛治の画像その1
▲鳥取県立博物館所蔵
前田寛治の画像その2

 



ふるさとを愛した画家の情熱は、いまもこのまちに受け継がれている。

 

 昭和5年、4月16日。北栄町が生んだ洋画家前田寛治は、33歳の若さでこの世を去りました。独自の写実理論を展開し、近代洋画界に大きな足跡を残した鬼才は、終生愛した故郷に眠っています。
 寛治は、明治29年(1896)、北栄町国坂に生まれました。18歳の時に上京し、大正4年(1915)、東京美術学校西洋画科に入学。在学中は、藤島武二に師事し、精神的には内村鑑三に傾倒しました。
 卒業後、フランスへ留学した寛治は、写実主義絵画を研究し、帰国後、木下孝則らと「一九三〇年協会」を創設しました。 昭和3年(1928)には、前田写実研究所を開設。新写実主義を提唱し、後進の指導にあたりました。帝展では2度特選を受賞後、無鑑査となり、昭和4年には帝国美術院賞を受賞しています。また、折に触れて母校を訪れ、恩師の肖像を描く姿が見られ、これに感化された若い画家たちが続々と誕生しました。
 そしていま、寛治が傾けた芸術への情熱は、秀作が揃う北栄町美術展といったかたちで、いつまでも受け継がれています。