日置黙仙(ひおきもくせん)

 


その人柄と非凡なる才能が、あらゆる分野で発揮された。

 

 曹洞宗大本山永平寺貫首、曹洞宗管長を務めた黙仙は、下北条村字島に生まれ、幼い頃から風呂敷を袈裟に見立て、合唱読経の真似事をしていたといいます。
 出家後の黙仙は、寺院、宗門経営の才能と、非凡な交際家としての人徳を発揮し、荒廃した丹波円通寺の復旧させます。その手腕を買われた黙仙は、遠州可睡斎の復興を任され、見事に成し遂げました。その後、全国に12か寺を開山し、こうした功績をもって、黙仙を「稀代の経営者」と評する人もいます。
 黙仙の活動の場は、国内のみならず海外へもおよび、54歳の時にタイへ赴いたのを皮切りに、ミャンマーやインド、アメリカと東奔西走の活躍をしていました。