北条町出身の生田和孝は戦後、民藝運動を進めていた河井寛次郎に師事し、素朴で親しみのある「用の美」を学びました。 昭和35年(1960)、兵庫県篠山市に工房を構え、日用雑器の制作に専念していた生田は、昭和50年(1975)に第3回日本陶芸展で文部大臣賞を受賞します。さらに、作品が東京の日本民芸館に所蔵され、将来を嘱望されていました。しかし病に倒れ、55歳の若さでこの世を去ってしまいました。 生田は、器の面をはぐ「面取り」と、器の内外に溝を付ける「しのぎ」の技に優れており、存在感と迫力が感じられる作品が特徴。平成14年(2002)には、サッカーワールドカップの日韓共催を記念した芸術展(韓国)に作品が出展されています。
生田図録
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