明治23年由良宿に生まれる。義父は育英校(現鳥取中央育英高)創設者の豊田太蔵氏。

 県立米子中学校(現米子東高)、山口高等商業学校(現山口大学)を卒業後、三井物産、山口石炭(株)等の重役を歴任。昭和42年没。

 修学中、国の育英奨学資金の援助を受けて学業に励んだことから、その報恩感謝の念を忘れず、向学心の切なる青少年の進学のため、資金援助の道を開くようにしたいと考えていた敏夫氏の没後、父の遺志実現のため、子磐彦氏は1,000万円を旧大栄町に寄付された。

 寄付者の意志を汲み、昭和44年に財団法人竹歳敏夫奨学育英会を設立。その後、昭和52年に磐彦氏の子誠氏が、基金増額のため50万円を寄付し、本会の充実発展を図っている。

 昭和45年度から令和3年度までに、59人に奨学金を給付しており、以って有用な人材の育成、教育の進展に大いに寄与している。