国指定=史跡・昭和63年7月27日

由良台場の歴史の画像その1 

 江戸時代の安政5年の暮れに武宮丹治が御台場築立掛に任命された。しかし、御台場築造が本格化するのは文久3年になってからである。文久3年6月にまず御台場築造に取りかかり、翌4年2月に完成した。この時、武信潤太郎らが中心となり、農民を人夫として動員して築いたのであった。そして、出来上がった由良御台場の守備責任者に武信佐五衛門が任じられた。この後、伯耆国では橋津・赤碕・淀江・境港に、また因幡国では浜坂・賀露・浦富に御台場が造られた。完成した藩内の御台場には六尾反射炉で鋳造された大砲を配備することが決っていたが、これは御台場築造に着手した文久3年8月のことである。
 由良御台場は規模が大きく、形の整った様式の砲台場として歴史的価値が高い。敷地は東西125m、南北83mの短形の前面の2つの隅を切った六角形で、周囲約400m、面積約90aである。
 周囲に高く土塁をめぐらし、特に前面(北側)の三辺は土塁を高く厚くし、底面の幅35m、高さ4・5mで外面はやや急斜とし、内側は最上段とともに三段になっていて中段に大砲を備えつけるようにしている。六尾の反射炉で鋳造された大砲が4門備えつけられたが、実践に使われることなく、大砲は全て廃棄改鋳された。
 御台場は北に日本海、南に中国山脈が横たわる雄大な景観のなかにある。昭和63年7月27日付けで国史跡に指定された。

由良台場の歴史の画像その2