桝田新蔵(ますだしんぞう)

桝田新蔵(ますだしんぞう)の画像その1
桝田新蔵(ますだしんぞう)の画像その2

 


 


私財を費やす覚悟が、豊饒の地を拓いた。

 

 桝田新蔵は安政3年(1856)、自らが工事費を負担して、砂丘地300余町歩を開拓する事業を鳥取藩に願い出ました。
 藩から許可されると、安政5年(1858)に用水路工事から着手しましたが、土地の買収に応じない者が出たり、資金に行き詰まるなど難航を極めました。藩は、新蔵の功績と人柄を認め、干拓事業を藩の直営工事とし、新蔵を工事を取り仕切る責任者に命じました。文久2年(1862)には藩の支援のもと新しい集落が生まれ、米の収穫にも成功し、藩に献上しています。新村完成後も、新蔵を中心に数々の難局を乗り切り、開拓の歴史に功績を残しました。
 晩年は、人の喜びを自分の喜びとし、五穀の実りを楽しみにしていたそうです。